2019年8月 5日 (月)

中国ドラマ「霜花の姫~香蜜が咲かせし愛~」第46話あらすじ

【登場人物】
錦覓(きんべき)…楊紫(ヤン・ズー) 花女神の娘
旭鳳(きょくほう)…鄧倫(ダン・ルン) 天帝の息子
潤玉(じゅんぎょく)…羅云熙(レオ・ロー) 天帝の息子旭鳳の兄
鎏英(りゅうえい)…陳钰琪(チェン・ユーチー) 魔界の王女
穂禾(すいか)…王一菲(ワン・イーフェイ) 鳥族王女

旭鳳の隣に倒れた錦覓は、旭鳳を見ながら“情とは何かしら”と思う。やがて旭鳳は消えてしまい、旭鳳とのこれまでの出来事が頭をめぐる錦覓。
錦覓は隕丹を吐き出し、大量の吐血をすると「旭鳳」と叫び意識を失う。

旭鳳の死を悲しんだ天帝は、龍の姿となり霊力を使って旭鳳の魂を収集する。そして倒れると「旭鳳を救ってくれ」と穂禾に頼み息絶える。

旭鳳と錦覓の思い出の鳳凰花の樹が枯れてしまう。

錦覓が昏睡状態に陥ってから半年が経っていた。

100万の天兵の中から護衛に当たる108名の天将を選出しなければいけなくなる。潤玉が「破軍星君に任せては?」と言うと、太巳仙人は火神が登用した男で謀反を起こされたら取り返しがつかないと反対する。それでも「火神の配下を任用することにより、この復興の時に六界に周知させたい。今までの天界と違うことを。私は過去のしこりにこだわらず、徳の高い者を任用する」と言う潤玉。

錦覓の意識が戻り、鄺露は急いで潤玉に知らせに行かせる。「先ほど即位式が終わり、陛下は仙人たちと宴を」と錦覓に話す鄺露。

体を起こした錦覓は、半年間眠っていたことにより少し混乱していた。少しずつ記憶がよみがえり、旭鳳を自分が殺めたと思い出す錦覓。

しばらくして潤玉が駆けつける。「錦覓」と呼ぶ潤玉が、錦覓には旭鳳に見えてしまう。
錦覓の隣に座り「具合の悪い所は?」と気遣う潤玉。錦覓は泣きながら痛みを訴える。痛みが胸から全身に広がるような感じなの、まるで針に刺されたよう、全身が痛い、とてもつらいの、でも何がつらいか分からない、と。

錦覓が口の中も苦いと言い、潤玉は飴を出す。それを急いで口に入れた錦覓だったが、すぐに吐血してしまう。錦覓の肩を抱きながら、潤玉は「心配は無用だ。すべては過ぎ去ったこと。あれは君のために咲かせた月下美人だ」と言って外を見せる。そして「この春の間に、きちんと婚儀を挙げよう」と言う潤玉。

九霄雲殿。鄺露が上元仙女に封じられ、領地として玄州も賜り感謝する太巳仙人。鄺露が「私は陛下のそばでお仕えできれば、それで十分です」と言うと、潤玉は「洞府を与えるのは、そこで天文暦法を校訂してもらうためだ。旧暦は正確でないゆえ、農作業の時期を皆が誤る。早急な新暦の制定を必要とし、その負担は軽くない」と話す。

鄺露は先の水神に関する文書を、保管する前に確認してほしいと潤玉に言う。しかし「必要ない。そなたに任せる。被香殿の文書庫に保管しておいてくれ。錦覓が目にしたら悲しむ」と言う潤玉。
鄺露たちが下がり、潤玉は飾られている月下美人に触れながら、錦覓から種をもらった時のことを思い出す。そして「過ぎたことなんて重要じゃない。過去の物事は跡形もなく消え去るものだ。もう君を苦しませない。これからは私と共に穏やかな生活を送ろう。いいね」とつぶやく。

潤玉は臨淵台に閉じ込めている廃天后に会いに行く。気性の変わらない廃天后に、旭鳳は半年前、自分と錦覓の結婚式で謀反を起こして失敗し、刃で内丹を刺され命を落としたと伝える。それだけでなく、旭鳳の死を嘆き悲しんだ父上(天帝)も、自ら元神を破壊して滅びたと。自分をだましていると思った廃天后が潤玉に攻撃する。潤玉はかわすが、その音で天兵が来る。「陛下」と潤玉が呼ばれ、驚く廃天后。

廃天后は「そなたが憎んでいるのは私だ。旭鳳はそなたを慕っていた。あの子に何の罪が?」と言う。「旭鳳に罪はない。私の母にも罪はなかった。錦覓も、あまたの笠澤の水族も罪など犯していない。でも義母上は龍魚族を滅ぼし、母を殺め、錦覓を抹殺しようとした」と言い返す潤玉。父上のために笠澤の水族を手にかけた時、皆にも家族がいたことを考えましたか?と。

廃天后は「あの時、そなたも始末しておくべきだった。そうすれば、こんな事態は免れたのだ」と言う。「仰せのとおりです。私は…義母上の手駒の1つにすぎない。想像もしなかったでしょう、その手駒に従う日が来ようとは。私が実の父と弟が滅びる姿を見たかったとお思いですか?望んでいたと?当時、義母上に殺されていれば、私はとっくに苦しみから解放されていた」と言う潤玉。廃天后は旭鳳も陛下もいなくなり「もう生きる意味がない。私を殺せ」と言う。

潤玉は「いいでしょう」と言うと、廃天后を臨淵台へ連れて行く。「飛び降りてください」と言う潤玉。先の花神は琉璃浄火を浴び身を投げるしかなかった、この下に存在していたどれだけ多くの命が犠牲になったことか、死にたいならば…飛び降りてご確認ください、義母上に無実の罪で命を奪われた亡霊の姿を、と。

廃天后は自害しようとする。しかし潤玉は許さず術で体を縛りつけ「義母上、簡単には死なせません。夫と子を失った苦しみを生きて味わうのです。そして非道な親不孝者が天界を平和にする姿を見届けてもらいます」と言うと出て行く。

庭で酒を飲んでいた潤玉の前に旭鳳の幻が座る。幼い頃、一緒に遊んだ時のことを思い返す潤玉。幻の旭鳳と見つめ合い微笑む。

以前、穂禾の配下が「天帝の過ちで生まれた子ゆえ、火神殿下には及びませぬ。公主が火神に嫁がれた後、夜神殿下に礼を尽くされるのは本当に気の毒です」と言っているのを旭鳳が耳にしたことがあった。旭鳳は「慎み深く無欲な兄上だが、君の機嫌を損ねたなら私が代わりに謝ろう」と穂禾に言う。穂禾が「口がすぎました」と謝り、旭鳳は「私の敬する兄上をバカにすることは許さない」と話す。穂禾たちが去り、潤玉が現れる。二人は微笑み合った後、酒を一緒に飲んだ。

潤玉は「なぜ亡霊となって私の前に現れるのだ。お前はいつでも高みにいて、誰からも愛され優しくされていた。皆が優秀なお前を尊敬し、功績をたたえた。私が劣っていたと?目立たぬようにしていただけだ」と言う。そして「お前たちは私に何も尋ねなかった。今、伝えよう。大丈夫だ、形だけの褒美や哀れみはいらぬ。施しなどさらに不要だ。分かるか?ずっと強くなりたいと思っていた。お前にないものを、いつか手に入れるために。だが、私は悟ったのだ。お前がいるかぎり永遠に最強にはなれないと」と言う潤玉。

魔界。「機知に富んだ太微(先の天帝)も息子の罠にかかり滅びた。父と弟を殺めるとは夜神は当時の太微とそっくりだ。太微自身も思いも寄らなかったであろう。いわゆる巡り合わせというものだ」と臣下に話す固城王。臣下は「夜神が政権を奪い取ったばかりで、天界は団結力もなく不安定です。今が攻め込む好機かと」と言う。この半年間、魔界の兵力を増強してきた固城王は「いかにも」と返す。そして空に向かい「太微よ聞こえるか?そなたには実現できなかったが、代わりに私が六界を統一して見せる」と言う。

錦覓が目覚めたと知り、殿下(旭鳳)の敵を討つと出て行こうとする鎏英。しかし暮辞は「錦覓を恨む気持ちは分かるが、大勢は決まった。君と私では覆せない」と止める。そして「出席していないから分からぬが、きっと婚儀で何かあったのだ」と言う暮辞。しかし鎏英は「錦覓が殿下を殺めたのは事実。自分を慕ってた相手をね」と言い返す。

庭に咲く月下美人の花に触れている錦覓を見かけた鄺露は「水神殿が昏睡状態の時に殿下がお植えになった月下美人です。昼にも咲くようにと霊力を注いで、水神殿のお目覚めをお待ちに」と話しかける。目をつぶった錦覓は、鳳凰花を旭鳳に贈った時のことを思い返す。
「錦覓」と呼ぶ声のする方を見た錦覓。歩いてくる人が旭鳳に見えたが、やがて潤玉に変わってしまう。

「気に病む必要はない。君の願いはすべてかなった。君を傷つけた者が当然の報いとして罰を受けたのだ。廃天后は臨淵台に勾留され、死ぬよりつらい思いを。旭鳳はお父上の敵として半年前に君が葬った。恨みを晴らすことができ、梓芬殿やお父上、お義母上も安らかに眠られているだろう」と話す潤玉。耐えられなくなった錦覓は部屋へ駆けて行き戸を閉めてしまう。

潤玉は戸の外から「理解できる。君は肉親を失いあんなつらい経験もした。心の傷は簡単には癒えぬだろう。だが君は旭鳳に借りを返すためにすべきことをしただけ。もう苦しむな。全て過去のこと」と話しかける。泣きながら干しぶどうを食べる錦覓。錦覓は魔界や苦い薬を飲んだ時、旭鳳に干しぶどうをあげたことを思い返す。つらくてたまらない錦覓は泣き崩れる。

「旭鳳はもういない。これからは楽しい時も悲しい時も私が君のそばにいる。元気になったら婚儀をやり直そう。そして末長く共に暮らすのだ。いいな」と潤玉が言う。旭鳳を殺めた時のことを考え「悪いのは旭鳳なのに、なぜ涙が出るの」とつぶやく錦覓。潤玉はそっと、その場を後にする。

ーつづくー

鳳凰花の樹が(✽ ゚д゚ ✽)
枯れてしまった…。
潤玉は婚儀のことを考えているけど、錦覓の心の中は旭鳳のことでいっぱいだよね。
錦覓はまだ自分の気持ちを分かっていないけど。

天帝も救ってくれと言っていたし、旭鳳は復活するはず!!!
でも、一体どこにいるの?
どうして出てこないの?
まだ復活してないの?
しばらくは思い出の旭鳳しか出てこないのかな…(;_;)
まずは錦覓が自分の気持ちに気付く方が先?

最後、錦覓が部屋に閉じこもってしまって、去る時の潤玉を見て切なくなったけど…。
でも、まだまだ潤玉は変わっていきそう。
錦覓が婚儀を断っても諦めないと思うし。
何より旭鳳が復活したらどうなるんだろうヾ(・ω・`;)ノ

この先、どうお話が進んで行くのか・・・。

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2019年7月24日 (水)

ディーンフジオカ

またモンテクリスト伯見てるけど何度見てもディーンフジオカ演じる真海の破壊力がすごい。ドラマの内容自体ももっと多くの人に知って欲しいがディーンさんが演じることによるキャラ立ちする凄みがある。
見たら性癖にスコンスコン刺さる人絶対たくさんいるのに、、、

2019年7月19日 (金)

マカロンビュッフェ

『マカロンビュッフェ』
自由が丘本店サロンにて、バラエティーに富んだ味わいのマカロンをお選びいただける『マカロンビュッフェ』を開始!
価格 108円(税込)
時間 70分間
全てのメニュー(お食事、軽食、デザート、ドリンク)プラス108円でマカロンブッフェをセット
期間限定:7/19~8/31予定

2019年7月17日 (水)

責任はすべて偽りの報道をした朝日新聞にあるといった。

以下は前章の続きである。 河野談話のいいかげんを暴く しかし安倍は違った。 まず靖国参拝について「靖国は日本にある。日本の首相が行けない場所などない」。 慰安婦問題への答えはもっとすごい。 「あれは星さんの朝日新聞が吉田清治という詐欺師の作った話をまるで事実かのように広めてどんどん大きくした」 責任はすべて偽りの報道をした朝日新聞にあるといった。 朝日はその前に安倍1次政権を潰した。 その因縁を考えれば当然の答えで、星はそれを承知で質問したのだろう。 首相がそういい、第2次政権は粛々と慰安婦問題を検証していき、まず河野談話のいいかげんさが暴き出された。 一方、朝日新聞は星に質問させたことを皮切りに、安倍の2度目の葬式を出す攻勢をかける手筈だったが、その前に衆目の集まる中で問われた「吉田清治」について彼が詐欺師ではないことを証明する義務が生じた。 社長の木村伊量はただちに吉田清治が真実を語る「自虐史観の使徒」であることを証明せよと命じた。 そしたら吉田清治は名や経歴に始まって済州島で軍人10人を使って200大の朝鮮女を連行いたことまで、何一つ事実ではないことがわかってきた。 それも知らずに吉田清治の嘘を元に松井やよりの「釜山の女6人を拉致」や植村隆のソウルの金学順」など、スピンオフ作品をいくつも作ってきた。 申し開きもできなかった。 かくて朝日新聞は星の質問から2年目の夏に吉田清治の嘘を認め、社長の首を差し出した。日本を貶める嘘を30年も続けたら、普通は廃刊だろうが。 しかし、鉄壁だった自虐史観にはじめて穴をあけられた。 それで人のいい日本人は朝日の延命を許した。 しかし、朝日新聞は星の今度の記事を見てもあまり改良点は見えない。 むしろ公正を装った手の込んだ嘘で反日を語るより、もうストレートに偏向でいこう路線が目に付く。 先日の安保法制の報道がそれで反安倍を正面に「徴兵制が敷かれる」風なアジに迷いはない。 この稿続く。

2019年7月13日 (土)

ラリー

イオンモールでスタンプラリー

2019年7月12日 (金)

『西方指南抄』の記名(5)

次に直弟本は前述のように下末のみ別筆であり、顕智(一二二一~一三一○)の書写であることに異説はない。前五冊は生桑完明氏が表紙の袖書に「釈覚信」とあることから、覚信房(?~一二五八?)の書写と見られて以来、覚信本と呼ばれてきた(25)。ところが平松令三氏は筆致や筆跡から真仏(一二○九~一二五八)の書写と考え直され、いまでは有力になっている(26)。ただそうすると『三河念仏相承日記(27)』が問題になる。それによれば、建長八年(康元元年、一二五六)十月十三日、真仏・顕智・専信・下人の弥太郎が上洛してきて、途中、三河の薬師寺(28)で念仏をはじめた。奇しくも親鸞が『西方指南抄』上末の書写を終えた日であった。そして京都に入り、十月二十五日と二十八日に親鸞から自筆の名号本尊をいただいているから(29)、それまでに親鸞と面謁をはたしたと考えられる。ところが『三河念仏相承日記』は「そうして主従四人御正(ママ)洛のとき、(割註、略)御下向には、顕智聖は京のみもとに御とうりう、三人はすなわち御くたり」とあって、顕智一人が京に残り、真仏たち三人はすぐに帰国したように読める。そこで真仏が康元二年に『西方指南抄』を書写することができないことになるのである。しかし清水谷正尊氏は、『三河念仏相承日記』は真仏が康元元年に帰国したと主張しているのでなく、真仏が帰国した年の末に顕智が三河へ来たと述べているだけであるとされる。そして真仏の帰国は彼が書写した『如来二種回向文』の奥書に「正嘉元年(=康元二年)壬三月二十一日」とあるから、それ以降と見られている(30)。したがってその間に『西方指南抄』を書写することはできたのである。それを覚信房に与えたから「釈覚信」の袖書があり、また真蹟本は真仏に与えられたので「釈真仏」の袖書があるのである(31)。

その真蹟本と真仏の書写本について注意したいのは、先述の箇所でいうと、親鸞ははじめ「西方指南抄曰」とあったのを真仏がそのまま「曰」と書写し、その後に親鸞が「上」と訂正したことから、真仏も「上」と訂正していることである。また巻上本の「法然聖人御説法事」に第十二願文を引用するにあたり、真蹟本は「諸仏国者」の「者」を「土(ト)」と振り仮名まで入れて墨書した後、上から朱筆で「者(シヤ)」と直しているが、真仏本も「土(ト)」と書写した後、磨り消して「者(シヤ)」と直している(32)。それを清水谷正尊氏は、真仏本が書写されてから真蹟本に朱が入れられ、真仏本に反映されたと見るのが自然であるといい、その他の例も示されているが、親鸞と真仏がやりとりをしながら、ときには真仏が親鸞に意見をいいつつ書写されたと思われるといわれている(33)。その他の例も指摘されているが、真蹟本と真仏本は往復しているのである。そこから清水谷正尊氏は、親鸞と真仏がやりとりしながら書写され、時には親鸞に意見をいいながら書写されたと思われるといわれている(34)。これがいま重要であって、『西方指南抄』は親鸞の真蹟本が伝わっており、真仏の目を通している。もし間違いがあれば訂正していたであろう。親鸞も真仏も納得しているのが『西方指南抄』なのである。


(25)『定本親鸞聖人全集』五・生桑完明氏「輯録篇解説」四一二頁。ちなみに覚信房については『親鸞聖人御御消息』第十三通・蓮位添状、『口伝鈔』第十六条(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』七六六~七六七頁、九○二頁)参照。
(26)『増補親鸞聖人真蹟集成』六・平松令三氏「解説〈補記〉」、二○○五年、九三八~九三九頁。常磐井慈裕氏「『西方指南抄』直弟本」(『影印高田古典』四・解説、二○○八年)、清水谷正尊氏「直弟本『西方指南抄』」(『影印高田古典』六・解説、二○○八年)、同氏「真仏上人書写『西方指南抄』について」(『教学院紀要』一八、二○一○年)、武田正晋氏『選択本願念仏集講読』(永田文昌堂、二○一三年)五五一頁など。なお佐々木覚爾氏「親鸞聖人門弟の筆跡研究」(『行信学報』二三、二○一○年)は覚信房の筆跡と推定されているが、清水谷正尊氏「『西方指南抄』の成立過程と真仏の筆跡」(『真宗研究』六二、二○一八年)に批判がある。
(27)『三河念仏相承日記』は愛知県岡崎市の上宮寺所蔵本が唯一の写本であったが、昭和六十三年(一九八八)の火災により原形は大きく損なわれ、それ以前に撮影されていた写真版のみが残ることになった。しかし平成十八年(二○○六)同市の東泉寺に古写本があることが発見され、上宮寺本では不明であった箇所が判明するなど、史料的価値は高い。平松令三氏「新発見の古写本『三河念仏相承日記』」(『教学院紀要』一五、二○○七年)、安藤章仁氏「新発見の古写本『三河念仏相承日記』について」(『真宗研究』五二、二○○八年)を参照されたい。前者には影印が掲載され、後者にはそれを翻刻されている。いまは便宜上、上宮寺本を底本とする『真宗史料集成』一・一○二五頁による。
(28)小山正文氏「三河相承日記の一考察」(『日本歴史』三九一、一九八○年)によれば、その薬師寺は「三河最古の四天王寺式伽藍で有名な岡崎市(旧碧海郡矢作町)北野廃寺址にほかならない」といわれている。また同氏「『三河念仏相承日記』の薬師寺─『岡崎市史研究』第三号を読んで─」(『日本歴史』四○三、一九八一年)にも再論されている。
(29)平松令三氏『親鸞の生涯と思想』「親鸞真筆名号四幅にまつわる思い出と問題点」(吉川弘文館、二○○五年、初出は二○○四年)に詳しい。
(30)清水谷正尊氏「直弟本『西方指南抄』」(『影印高田古典』六・解説、二○○八年、九九七~一○○○頁)、同氏「真仏上人書写『西方指南抄』について」(『教学院紀要』一八、二○一○年)。なお『親鸞聖人御消息』第十二通は真仏宛てで、「正嘉元年丁巳十月十日」付けであるから、それまでには下野へ帰国していたことが知られる(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』七六○頁)。そして翌正嘉二年三月八日に往生している。
(31)ちなみに梯實圓氏『西方指南抄序説』(西本願寺安居講本、一九八六年)四頁は『親鸞聖人御消息』第三八通の最後に「銭二十貫文、たしかにたしかに給はり候ふ」(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』八○二頁)とある「二十貫文」は『西方指南抄』を伝授されたことへの御礼の懇志であったかもしれないといわれている。
(32)『親鸞聖人真蹟集成』五・九、一○五頁、『影印高田古典』五・七、一○五頁。なお、朱筆について『真蹟集成』はモノクロ版なので墨書が目立ち薄くて見えづらいが、清水谷正尊氏が原本にあたり確認されている。同氏『「西方指南抄」について』(同朋舎メディアプラン、二○一三年)二七~二八頁。またDVD版『国宝西方指南抄第一巻上本』(同朋舎メディアプラン、二○一二年)四五分三五、六秒あたりの画面でも確認できる。
(33)清水谷正尊氏「直弟本『西方指南抄』」(『影印高田古典』六・解説、二○○八年、一○○四、一○一二~一○一四、一○一七~一○一九頁)、同氏「真仏上人書写『西方指南抄』について」(『教学院紀要』一八、二○一○年、五六~五七頁)、同氏『「西方指南抄」について』(同朋舎メディアプラン、二○一三年)二二~三○頁、同氏「『西方指南抄』の成立過程と真仏の筆跡」(『真宗研究』六二、二○一八年、一○六~一○七頁)
(34)清水谷正尊氏「直弟本『西方指南抄』」(『影印高田古典』六・解説、二○○八年、一○一一~一○一九頁)、同氏「真仏上人書写『西方指南抄』について」(『教学院紀要』一八、二○一○年)

2019年7月10日 (水)

こんな時期に ポツンと ムシクイ!2019.7.10

大阪城公園に着いたらとりあえず音楽堂西側上を目指す。途中も多少目をやって観察しながら歩いているが、正直言って軽く流す程度。
どちらかと言うと子育て中のカラスの攻撃にびくびく。なさけないバーダー。

渡りの時期は、何が居るか?興味いっぱいになってじっくり探している時と違う。鳥に対する姿勢に波がある、大阪城公園の正確な記録する上で、この姿勢は批判されるかもしれない。

しかし、反論するようだが、こんな時期の大阪城公園も渡りの時期と同じように力を入れていたら30年間続けられない。

徹底的にやって10年で止めてしまうか、だらだら30年間記録を続けるのか、どちらが大阪城公園の野鳥の歴史を記録できるか。将来にわたって貴重な資料となるか。私は続けることの意味を深く考えている。

前回のブログで間違っていたことに気付いた。

2019年7月 7日 (日)

大野くん

あの、今日番協行ったんですけど、あのハートビートは櫻井くん発です
センステからはけるとき、走りながら大野くんの肩ちょんちょんってして、大野くんにジェスチャーでこれねってやって、大野くんもすぐに

2019年7月 6日 (土)

ブルーハーツ

THE BLUE HEARTS、ワーナー時代の全シングルとベスト盤のダウンロード配信開始

2019年7月 5日 (金)

ヤマトリース

ヤマトリースの社長の発言をパワハラだと言ってテレビで流してますが、言ってることは間違ってないと思います
言い方はアウトですが

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